大阪府八尾市と高槻市、そして徳島、さらに伊丹の空手道場です。

宮崎道場

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故岡崎さんのページ

岡崎さんというのは私が空手塾へ出稽古へ行ってそこで出来た友人です。
彼は口数が少なくおとなしい人でした。でも、凄く優しい人でもありました。
写真を見ればわかるように私との身長差は30センチ近くあってまるで巨人対小人みたいに見えると思います。 

2001年5月頃
彼と初めてスパーリングする時は、その身長差にちょっとビビってしまったのを憶えています。
ただ、彼はやさしすぎるんでしょうね・・・戦っても怖さを感じないんです。 彼の懐へ入っていいように打ちまくったりするパターンが定着しだした頃・・・
お互い練習仲間だからお互いが強くならないとお互いがレベル上がらないからもっとガンガン来てくれてと訴えたことがあります。
すると・・・ガツン!と上段膝蹴りをもらってしまった・・・(TT)
余計なことを言うんじゃなかった・・・とその時深く思いました・・・

2001年6月頃?秋だったかな?ちょっと時期は忘れました。
たしか香川大会に参戦して岡崎さんはベスト4になりました。
自分は応援には行けなかったのですが、すごく嬉しかったです。


これは空手塾主催の合同練習

2001年6月  物凄くしんどかったけど岡崎さんがんばってたなぁ~

2001年7月
自分が極真の全日本ウエイト制に出場した時。
当時、自分はフリーになったばかりで個人的に自分をサポートしてくれる人が無く、非常に困っていた時に、あの口数の少ない岡崎さんから・・・
「よかったら、僕がセコンドしましょうか?」と言ってくれたのです。
スッゴク嬉しかったのを憶えてます。
セコンドをお願いした途端、岡崎さんは自分には一切、荷物から身の回りの物まで持たすことはせず、試合にだけ集中出来るようにしてくれました。
余計なおしゃべりをするわけでもなく、静かに自分のそばにいてくれて・・・
自分はなぜかすごく安心感があったのを憶えています。
そのお陰で自分は初めての予選突破!ベスト16になりました。
その時、感じたのは空手の試合というのは個人競技ではないなぁ・・・と。
岡崎さんがセコンドについてくれたことが結果に結びついたと思っています。
だから空手というのは一人では勝てないものだと思いました。

2001年9月頃
岡崎さんも極真の全関西に出場しました。
自分も応援に和歌山まで行きました。
一回戦。ガンガンパンチとロー!ボディへ膝!あともうちょい!あら・・・
盛り返された・・・
いけぇ~!・・・う~ん・・・判定負け。
試合後かける言葉なかったですが・・・
岡崎さん・・・どうして?勝てるはずやで・・・
ちょっと気のやさしい性格がアグレッシブさに欠けて勝機を逃すんでしょうね・・・
自分にも思い当たるところなんでよくわかります。

2001年11月頃
白蓮の全日本があってその時も岡崎さんがセコンドをかってくれました。
お陰さまで初入賞で準優勝!
もう、大事な試合には絶対岡崎さん!
と心の底から思いました。



上の写真を撮るはずが・・・セルフタイマーが途中で「カシャ」・・・下がそれで爆笑してる写真。

2002年 5月頃かなぁ・・・?
岡崎さんが練習に顔を出さなくなりました。一度、なにかの挨拶で顔を出したきり、全く来なくなりました。かなり、忙しいみたいでした。
少し様子を見て・・・
どうもいろいろと忙しくなってストレスとか溜まってるのかな?と思って一度宮崎道場に気分転換に遊びに来てくださいと連絡したら来てくれました。
楽しく練習してもらえたみたいで、みんなでその後ご飯に行きました。
そこで、初めてといっていいくらい岡崎さんと語り合いました。
彼はあまり自分のことは言わない性質らしく話してくれるのは貴重みたいです。
その頃、悩んでいたことや来れなくなった理由みたいな事をを色々話してくれて、自分も彼の悩みには自分なりに答えたつもりです。
それから彼の可能性についても話しました。磨けばもっと強くなるよ。
って感じで。彼は凄く真剣に聞いてくれました。
ところで聞けば彼、十三から八尾まで原付で来たみたいです。
体の3分の1くらいの原付に乗って・・・かなり遠かったと思うけど・・・
お疲れさまでした・・・

2002年6月頃
それでも岡崎さんが練習に来なくなったのは変わりなく、当然自分の試合に岡崎さんがついてくれることがありませんでした。
試合に出る時、なぜか不安感というのでしょうか・・・
足が地についていなかったのを憶えています。
彼の存在の大きさを改めて知らされました。

2002年 7月後半
それから・・・当然のように岡崎さんの姿を見ることはありませんでした。
どうしてるのか?とメールをしたら・・・
「実は白血病になりまして・・・」と・・・
それを聞いた時は目の前が暗くなるような・・・そんな気持ちでした。
それでも白血病の知識は希薄だったので楽観視していたのですが・・・
いろいろ知るにつけその恐ろしさが分り、また不安な気持ちになりました。
そんな気持ちを抑えて見舞いに行ったら・・・悲しいほど普通にしゃべってくれました。
すぐよくなってまた一緒に練習できるような錯覚も・・・

2002年 10月頃
見舞いもどれほど行っていいのかわからず、よくメールのやりとりをしていたのですが・・・そのメールも途絶えてしばらくしたころ・・・容態が・・・

彼とは空手を通して出会い、空手でしかお付き合いをしたことはありません。
プライベートの顔はお互い知らないです。
言うなればどつきあい、蹴り合うだけの仲でした。
特に彼は口数が少ないわけですから・・・それほど語り合うこともありませんでした。
それでも、大切な友達でした。
居てくれるだけでホッとするような。そんな人でした。
ご家族の方に聞いてみると彼は大人しくて気のやさしい子と言う印象みたいです。
もちろんその印象もありますが、凄く勇敢で、自分には頼り甲斐のある強い人でした。

彼らしく何も言わずに姿を見せなくなり、いきなり白血病・・・
少しよくなったのかなぁ?と思い始めた頃、突然危篤・・・
そして何も言わずに逝ってしまいました。

大切な友達 岡崎さんへ 
岡崎さぁん!なんでもいきなりはあかんでぇ・・・言うてくれな
・・・さみしいっす。
                by みやざき

追記
こないだの全日本でご両親から戴いた形見になってしまったジャンバーを着て
試合の時を待ちました。
ジャンバーに合わせたズボンを選んで控えていたのでとても選手には見えないらしく
「今日、出るんですか?」なんて質問も・・・(苦笑)
ジャンバーを着ていると岡崎さんにセコンドについてもらった大会を思い出しました。
今みたいに沢山の仲間が居ない時で、知り合いになったのも極短い時間でそれでも、一人じゃないよ。
って言ってもらっているようで何回出ても 不安になる試合前の自分を落ち着かせてくれているように思いました。
お陰で久々のベスト8入りでした。
後・・・何回試合に出れるかな?
死ぬことよりも辛いことなんてないですね。
諦めなんてつくわけないけど・・・
いつか試合に出なくなる日が来るかもしれないなぁ・・・
それまで、また一緒に試合の時を  待ちましょう。

岡崎さん宅の近くの会場で大会があったので、その後で皆で訪問しました。
ゎいゎいガヤガヤ。。。
岡崎さんのかっこぃぃ写真がいっぱい貼っていました。

実はこのあと焼肉をゴッチになってしまいました。。。ご馳走様でした。
こんなに大勢で押しかけて。。。その上、底無しの胃袋を持つ怪獣人間が一人居るのに。。。
それを知ってか知らずか。。。ご両親の大胆なご好意には深く敬意を抱かずにおれませんでした。

空手塾の田前師範と。
岡崎さんはよく師範に叱られていましたね。
私にはギャグかな?
って思うくらい、岡崎さん要領が悪いというか。。。^^;

時にはシャレにならないくらい激怒されて叱られたり。。。
私も出稽古生でありながらズバズバと心に刺さるくらい叱られたことがあります。

岡崎さんは格闘家というにはあまりにも向いてない。
って感じの優しい性格の人ですね。
そんな人を本当に強くするには?

徹底的に叱る。
嫌われようが恨まれようが徹底的に。
心が壊れる?
当たり前です。心を壊してこそ、そこから立ち上がろうと強い人間になるのです。

岡崎さんをほんとうに強い奴にする。
強烈な指導方法ですがそれを実践されていたように思います。

阪神を優勝させた星野監督がコーチを選任する時の条件が
「選手に嫌われること」
だったと聞いたことがあります。
今思うとほんまその通りな指導やったなぁ。。。と思います。

以前、岡崎さんが落ち込んでいる時にそんなことを話して勇気付けたりしました。
そして。。。

ミヤザキ「そのかわり、ほんまに結果出したらめっちゃ褒めてくれるし、認めてくれるで!
      それまでほんま腐らんとがんばらなぁ!!こんなところで終わったらあかんで☆」

岡崎さん「押忍。ぼくももう今はどうでもいいかなぁ~って思ってきて。。。
      でも、最近ほんまに仕事忙しくて いけなかったんですよぉ~ 」

ミヤザキ「そうなんやぁ。。。ほんま師範の見る目が変わるくらいがんばって結果出そうや☆」

岡崎さん「押忍。そうします。 
      なんか自分のことあんまり話さないんで。。。話してすっきりしました。」

ミヤザキ「ほんまかいなぁ♪ おれ貴重な体験したんやなぁ☆」

岡崎さん「そうかもしれません。」

悔やまれるのは。。。岡崎さんがまた頑張ろう。。。って思い直してから
空手の稽古をすることなくこの世を去ったことですね。。。

↑↑↑ これ岡崎さんが好きだったらしいです。

開けてみて吹き出しました。
・・・・こんなんおれも好きやったりするがな。。。(笑)

去年はごめんなさい。
今年はがんばります。   08.1.1 みやざき

080120
宮ー1GPと称して育成大会を行いました。
この度は、岡崎賞を制定しました。

岡崎賞は自称「おれは今日がんばった!」という人の中からジャンケン勝ち抜き方式で決定しました。
皆さん微笑ましく見守ってくれました。
さて、岡崎賞をゲットした彼。
実は試合がトラウマになりかけていてナーバスになっていました。
ある意味、そんな彼にがんばってほしくて開催したって一面もあります。
まさかまさか。
一番あげたい人にあげられることになるとは(笑)

岡崎賞の中身はアイポット。
彼がほしい!って物ではないかもですが(笑)
それともう一つ岡崎賞があってそれはイオンドライヤー。
これからの空手家はおしゃれでなくちゃね。
岡崎さんも闇でおしゃれだったように(笑)

岡崎賞のいわれは 「ウェブで!」
と言っておいたのでご理解いただけた人もいることでしょう。

080622
第25回 極真連合会主催 全日本ウエイト制空手道選手権大会
中量級 3位 入賞しました。
とりあえず、年頭の約束通り がんばりました。

本大会の開会式の模様です。
ちょうど入場シーンです。

形見のジャンバーを空手着の中に着こんでの入場です。
試合には一緒に。
そんな思いを胸にしまって。
実はこの後、祝勝会をしていただきました。
あぁ。。。うれしい。

’08.10.26   7回忌

岡崎さんて・・・ こんな人も友達だったんですか・・・?


到着早々記念写真。
全日本3位の報告です。


Tシャツです。
宮崎道場初回限定版Tシャツもありました。
なんてレアな。。。。


全員記念写真。 お母さん版。


全員記念写真。 お父さん版。


値打ちある4位の表彰状。

ファインダー越しから覗いた生の映像のように映っていませんか?(笑)

物凄い迫力で相手を圧倒していますよね。
これが岡崎真岳です。

やさしいけど、強い人でした。

09・1・1
今年はやります!
観ていてください!

’10・1・2
去年はやってやるつもりでしたが。。。
入れ込み過ぎで失速しました。
何のために?誰の為にやっているのか?
そんな答えを思い出しました。
今年は極めます。
たのしい
って言葉を。
それを極めた。
と思ったときにいろんな結果がついてくるような気がします。

10・7・11
2年ぶりに
最低限ですが入賞です。
7位。
極真連合会全日本ウエイト制にて。
去年ワールドカップで負けてからこの一年
ほんま辛かった(笑) では、またがんばります。

11・1・11
ようやく自分にとっての年が明けた。
そんな気になれました。
ぬるいこと言わず。
ぶれないで。
おもいっきり。
やってきます。

11・12・1
セコンドについてもらって10年後の今年。
現・新極真全日本ウエイト制で本戦までいけたあの時。
初入賞が準優勝だった白蓮全日本。
あれから10年。
それなりの気持ちで出たんですけどね。
両方とも。
結果はご承知の通りです。
前にだけ進んでやる。
それだけが今回の思いでした。
押忍

13・1・10
ご無沙汰っす。
一年空いてしまいました。
去年を思うといったい誰の為に空手をやってるんだ?
と自分に怒鳴りたくなるようなそんな年でした。
今年は自分のために空手をします。
自分が楽しけりゃ自分についてくる人には いい場を与えることができると思うので。
ちなみに今日は八尾道場での木曜稽古スタートの日。
とりあえず、自主トレスタイル。
岡崎さんと出会った頃は私も無我夢中で一緒に稽古させてもらいました。
あんな気持ちを思い出すために。
今日はいい汗がかけました。

13.10月.14.
偲ぶ会
空手塾田前師範の呼びかけで 
出会った当時のメンバーと会うと思い出すことばかり。

本気でやり合ってた特殊な空間と時間でしたよね。
あの時の緊張感が蘇ります。
当時の皆さんはすでにバラバラになっていますが岡崎さんを思う気持ちで集結。
11年前にタイムスリップしたみたい。
とは言え、みんなそれなりに年を食ってますが。。。

変わらないのは岡崎さんの遺影と

この風景かな?
当時の気持ちを思い出して。
押忍。

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